Saturday, June 14, 2014

優先について

最近、仕事に通うっている間に車でニブレー教授の講義を聴いています。その講義の中ですごい例え話がありました。その中からの良い点を説明したいと思います。
私たちの知っていることの一つは人生の目的です。この人生は私たちが善か悪かを選ぶ験しです。(アブラハム​書3章24ヨハネの黙示録20章12アルマ書34章32-33)その目的を考えながら、この例え話をご覧下さい。
ある若者は全力を尽くして、受験を合格して入学できたとしましょう。おまけに親戚の知り合いには年寄りの立派な優しいお金持ちのお方がいて、そのお方は若者のことを気に入て若者に申し出を捧げます。
「君の将来は明るい。君は立派な人になるために勉強して頑張って欲しい。もし、君は精神を尽くして、一生懸命勉強すればわしは君の必要を負担します。学費、部屋代、食事代、全て負担してあげる。しかし、君は勉強と学ぶことに集中しなければいけない。アルバイトはしないで下さい。このお金を勉強以外のことに使わないでください。最後にお金のことを心配せずに知識を得て世界をもっと良い所にしてください。」
それでその若者は優しいお爺さんの申し出を喜んで勉強だけに集中して頑張ることを約束して受け入れます。
間もなく若者は大学に入って、勉強を始めます。たまに、優しいお爺さんは電話で若者のお父さんと話して情報を得ます。若者は頑張っているらしくて嬉しい様子です。もっと時間が過ぎ去ると若者の様子は変わりました。成績はよりよくない、常に疲れ、あまり頑張る気がなくなった様子。大学をやめるかもしれないと。
優しいお爺さんはそれで若者と相談します。若者は説明しました。
「授業を受けながら、自分の将来はとても心配になりました。卒業したら、お爺さんの支援のお金はなくなる、また就職できなかったら非常に困るので自分でお金を貯めて置いた方がいいと思いました。ビジネス授業で株と投資について学んで、さえ、良い投資ができたら大丈夫だと思ってお爺さんから頂いたお金をとって株を買いました。株の利子で生活できると思いながらその方針に進みました。残念ながら、意外と株は成功しなくて逆にかなり落ちました。それで、生活費を設けるためにアルバイトを見つけて働き始めました。でも、バイトで忙しくなって、疲れて、勉強に集中できなくなりました。また、来年の学費は及んでいます。バイトからのお金は足りないのでローンかなんかがなければ学費を払えないのです。お爺さん、申し訳ない、あなたの優しい契約を破ってしまいました。」
それで優しいお爺さんは答えました。「わしのかわいそう友、なぜ将来を心配したの?君は将来を心配する必要がないようにしようとしたのに。君は生活費と学費が手に入ったのにどうしてもっと生活費が必要なと思ったか?内緒で君を自分の受け継ぎにすると思っていたが、君を信頼できるかどうかを心配している。ちなみに、何の目的で勉強したいかい?」
若者は答えた「私は生活が出来るように自分でお金を設けないと行けないと思っています。よい仕事に入れるようにまず資格を取らないといけないです。その訳で勉強しようと思っています。もちろん、社会にも役に立ちたいし、国の経済を支えたいし、他の人への義務を果たしたいです。まず、資格を取って、就職して、家を買って、出来れば結婚して、れきとした社会人になる。皆、同じじゃないですか?」
「皆はそのように思っているの?仕事が出来るように勉強しているの?」
「そうだと思います。他の理由はないでしょう。」
「ちがうだろ。皆は仕事が出来るように勉強してるかい?面白くないだろ!」
「お爺さん、教えてください、何の理由で勉強すればいいのですか?私には理解できません。」
「当然だろ。学ぶためだ。知識を得るため。英知のため。資格のためではない。お金のためではない。だれでも、資格をとれるのだが、立派な人になる者には英知が必要だ。申し出を与えたかった理由は君が普通の人になるためではなく、偉大な人になるため。だから、この風通の社会人のイメージを持たないでくれ。」
若者は黙ってよく考えた。
「お爺さん、おっしゃることは、お金と仕事と資格を考えずに勉強することですか?でも、そうすれば、卒業したらどうなりますか?就職できなかったら、」
「”できなかったら”と言わないでくれ!ちゃんと勉強できたら、その時になると、すべては自然にできあがる。本当の英知のある人には仕事は自然にくるよ。彼らの目的は仕事じゃない。彼らの優先は風通の人と違う。彼らはもっと大切なことを第一にする。」
「お爺さん、本当ですか?」
「本当だよ!わしは約束してあげる。頑張りたいかい?」
「おっしゃる通りやってみたいと思いますけど、もう失敗したので、もはや勉強できないと思います。
「わしは新しい申し出をあたえよう。君の心は変わったかどうかを貯めそう。君がわしのお金で買かった株を渡してくれれば、君の申し出を戻す。しかし、今回、絶対勉強ともっと偉大な優先に集中して下さい。」

この例え話は人生についてです。神様は無料で私たちに学費、部屋代や食事代を与えて下さいました。学校の目的は知識であると同じように、人生の目的は昇栄です。私たちの目的は違う物であればその物は私たちの報いになります。

ヤコブ2章18,19 とみ​を​もとめる​まえ​に​​かみ​の​おうこく​を​もとめ​なさい。
マッタィ6:24-34 神の王国を第一にすると全ての必要が与えられる。
マッタィ11:28-30 彼の道は簡単
ヒラマン14:30,アルマ41:3 あなたの欲しいものが与えられる。
ジャシャー書 16:15 私が信頼している主なる神は私に言った、あなたの手の作業を祝福してあげるのであなたには不足することがないだからである。


Sunday, April 27, 2014

終わりについて

ホームテイチングの手紙

今月も手紙にしました。良かったら、ご覧下さい。

総大会はよかったですね!毎回、総大会の話をワクワクして聴きます。神様の生きている言葉を聴く特権は素晴らしいですね!
最近、「終わり」と言うテーマについて考えています。6月に私は家族を連れてコロラド州に帰ります。日本での時間また愛する恵庭千歳ワードでの時間が終わります。このことを考えると寂しくなります。沢山の愛する人たちと会えなくなることは決してやりたくありません。終わりについて考えることをできる限り裂けています。

総大会でウクトドルフ管長はこの言葉を説きました:
…in His plan there are no true endings, only everlasting beginnings.
「天のお父様の計画には本物の終わりはありません。永遠の始まりばかりです。」
また教会の最近の「イエスのおかげで」作の最後でこの風に読みます:「イエスのおかげで…終わりなどないのだ…」これはなんと素晴らしいことですね!

第二ニーファイ28:7は世の終わりに対する気持ちを表しています:「また、次​の​よう​に​言う​者​も​大勢​いる。「明日​は​死ぬ​身​な​の​だから、​飲み食い​し、楽しみ​なさい。そう​すれ​ば、わたしたち​は​幸せ​だ。」」あのような考え方は終わりを期待しています。あのような考え方は幸せを薬のように服用しています。しかし、イエス様の信者は違います。

教義と聖約63:23-
「しかし、わたし​の​戒め​を​守る​者もの​に、わたし​は、わたし​の​王国​の​​奥義​を​与えよう。それ​は​彼​の​内​で​​生ける​水​の​井戸​と​なり、そこ​から​永遠​の​命​に​至る​水​が​​わき出る​で​あろう。」
「王国​の​​奥義」とは神殿の儀式です。薬を飲んでいる人は病の症状を隠すために飲んでいます。世の幸せは消えるので薬のように繰り返し服用しないとなりません。私たちはイエス様の聖約者として終わりを期待するという病はありません。

私たちには日々に「終わり」を期待する必要がないし、思い煩う必要もありません。逆に喜びと始まりを期待すべきです。イエス・キリストの福音は前向きばかりです。私はこの頃、日本の友達の友情を喜んで楽しんでいますが神様は永遠だからイエス様によれば私の日本での特別な経験が終わってもその喜びは終わらずに永遠に続きます。いつかこの経験は過去になります。過去は去ったけれどもイエス様によってそのときから得た喜びは去りません。イエス様によってあらゆるのよいことは続き、あらゆるのよくないことはどんどん消えます。
英語の賛美歌の「If you could hie to Kolob」と言う曲にはこのように歌います。

There is no end to glory;
there is no end to love;
there is no end to being;
there is no death above!

イエスのおかげでその通りです!

ウォーカー兄弟より

Sunday, March 30, 2014

立体的な視力

ホームテイチングの手紙

今月,ホームティチングはなかなかできなくてすみません。よかったら、この短い手紙をお読みになってください。私の日本語文作はよくないので申し訳ないですが仕方がないです。我慢してください。^_^

最近、特別な経験を受けました。夏からキリスト教の護教論の本をよく読んでいます。読んでいることの一つは私の感覚に大変化をもたらしました。この件について知らせたいと思います。

この世の中でよく矛盾を発見しませんか?歴史とか科学の研究の中で沢山の事実がありますが、それぞれの事実をきれいに整理することは矛盾のため、無理です。科学の中の研究、理論や主義には矛盾の故で言い争いが多いです。社会や学校で教えていることは福音に合わないところが色々あるし、キリスト教の宗派の間にも言い争いがあります。実はどんな話題でも矛盾の部分があるに違いないと思います。結局、この世には矛盾が多い、いや、矛盾はこの世の基だろうと思うようになっています。

ある間、色々なことを思い煩って、正直に混乱していました。どのようにこれらの事実と主義を解釈して、認めればよいのかを迷っていました。言い換えれば矛盾の受け取り方が分からなかったです。

ある日、護教論者のG.K.チェスタトンさんから目覚ましの例え話を発見しました。
「(神を信じる人)は二つの打ち消す事実を見たら、その二つの事実とそれらに伴う矛盾をそのまま、受け入れる。それで両目の視力と同じように信者の霊的な視力は二つのイメージを同時に見、立体視力になり、それで視力は非常に明らかになる。ですから、運命ということを信じながら、自由意志も常に信じる。そして、子供たちは文字通りの神の王国であることを信じながら、世の王国に従順になるべきとも信じる。」

私はこれを読んだときにものすごく感動しました。やっぱりそうですね。神様はすごく不思議で素晴らしいほど、完全に理解する人が誰もいません。言い方は変ですけど、神様は一番の矛盾です。この世は不思議です。この世には矛盾が沢山入っていることは神様の存在の証拠の一つじゃないですか!この世の中に混乱させることがありますが私たちはさえ神様、あるいは「大いなる矛盾」を受け入れることができたらこの世のことを信仰の立場で理解できます。それだけでわなく、イエス様によってすべては明らかにされ、世の病は癒されると信じれます。これは私の証です。

ウォーカー兄弟より

Sunday, January 26, 2014

いい言葉

最近、この言葉を見つけて感動しました。
詩はただ白い紙に黒い跡であるという主張を字を読むことができない聴衆に講義する人には反論はないでしょう。顕微鏡を通してそれを見て、印刷用インクと用紙を分析、好きな限り(そのように)、検査しても何度の分析のすべての発見の上に「これは詩である」という証拠を見つけないでしょう。しかし、読むことができる人々は、詩が存在すると主張しつずきます。
-- C.S. Lewis
人生は意味があるかどうかは大質問です。私には「絶対ある」と主張します。